女子格闘技ファンーはてなブログ

たおやかに強く美しい 女子格闘家たち

美女(ママ) 女子格闘家 石岡沙織選手のストーリー

先日こんな本を手にしました。

殴る女たち 女子格闘家という生き方 著者 佐々木亜希

10人の女子格闘家(+女性のリングドクター1名)について書いた本です。 2010年10月29日発行であり、記載されたデータは2010年8月31日現在ものです。 と記載されているように、やや古いデータですが、その中の1章に

「挑戦」 石岡沙織 とあります。

石岡沙織選手といえば、

以前、下の記事を書きました↓

http://hanabumanabu.xyz/?p=315

この記事を書いたのは、山本KID選手がなくなりました、 その為、その実姉、山本美優選手の過去の総合格闘技の試合を観たいと思い、 山本美優選手のほうをメインに観戦しました。

石岡沙織選手は、上記の試合で素晴らしいファイトを行い、 結果は判定で敗れたものの、感動の試合を見せてくれた素晴らしい選手です。

その石岡沙織選手が、こんな思いをもって、格闘技にとりくんでいたとは・・・・!

 

寂しさ

 

「私は普通の人になりたいんです。普通になりたいから格闘技をやっているんです。」 「普通に、真ん中のへんで生きていきたいんです。私は。」 「ずっと、生きることがしんどくて、なんのために生きているのか、わらからくて」 「イヤなことから逃げて、楽な道ばかり選んできた。」 「そういう自分を変えたくて、格闘技をやってるんです。」

あの素晴らしい試合を見せてくれた石岡沙織選手がこんな気持ちを抱えていたとは。。。

しかも、リストカットで気持ちを紛らわせていたという。。。

 

不純な動機

 

石岡沙織選手が格闘技をはじめたきっかけは、 なんと当時つきあっていた男性が格闘技をはじめたから共通の話題を作るためだという。

石岡沙織選手といえば、”美人”ママファイターといまでは言われている。 この本出版時はまだ未婚で、それでも美女ファイターとして注目されていた。

それほどの美女なのに、 「自分なんて、愛される価値がない。」 「ずっと寂しくて。この人しか、私を好きになってくれる人はいないんじゃないか?」 「この人と別れたら、誰からも愛してもらえないんじゃないか?」

 

上京

 

不純な動機ではじめた格闘技 (蛇足:管理人は、不純な動機って、最高に純粋だと思っています。)

いつの間にか上京し、格闘技で生きていくと覚悟も定まらないままに試合をこなす日々 覚悟も定まらないまま試合をやって、それなりの戦績を残すのが凄い。

しかし、試練の試合が

2008年2月 ハム・ソヒ戦 「はじめて、試合中に、後向いて逃げ出したくなった。」 「殴られるのって痛い」 「怖くなった」 というほど、一方的に殴られて敗戦

 

メインイベント

 

衝撃の敗戦 殴られることへの恐怖 そんな時にタイミング悪く、格闘技会の暗黒時代が重なり、 当時唯一の女子格闘技団体【スマックガール】が活動中止

いや、石岡沙織選手にとってはタイミングは良かったのかも知れません。 スマックガールが活動中止になったので、 格闘技をやめるタイミングをうしなったのです。 当時、石岡沙織選手は格闘儀を「もうやめたい」と思っていましたが、 やめるもなにも、団体がない状態。

そんな宙ぶらりんな時、 新しい女子格闘技団体【ジュエルス】が発足します。

記念すべき【ジュエルス】発足の第1回大会の メインイベンターに 石岡沙織選手が指名されたのです。

石岡沙織選手はそれを受けました。 「ああ、やらなきゃな」って思った。 新しくできる団体なのに、そのメインで自分をつかってもらう。 変な試合はできない。 緊張もプレッシャーもあった。

 

はじめての行動

 

大会当日 セミファイナルでは総合格闘技無配を誇る、 ベテランの藤井恵選手が一本勝ち。 藤井恵選手は、メインへ出場を控える石岡沙織選手の肩を抱き、 「メイン頼むよ」と告げる。 (蛇足:こういうところが格闘技の素晴らしいところだと管理人は思います) そしてこの試合、判定で勝利。

3ヵ月後、シュートのリング上で勝利後のインタビューで、 石岡沙織選手は、はじめての行動をします。

藤井恵選手と対戦したい

「いつも逃げてばかりで、楽な道ばかり選んできたのに」 「私の人生で、初めて強い人に自分から挑んだ」 「立場が人を変えるっていうけど、すごく大きなこと」 そして、今までいやいや、やっていた練習に取り組む

さらにもうひとつ はじめての行動 「あのとき、あの試合の前、はじめて(自分から)男と別れた」

 

あったかい空気

 

それまでは、一人でいることに耐えられずに、付き合っていた男性と別れても すぐに別の男性と付き合っていた。 だが、あの試合の前は、はじめて自ら別れを告げた。 別に嫌いでも、イヤでもなかったのだけれど、 「お互い、傷の舐めあいみたいになっていた」

これでは、駄目だ。 藤井恵選手との試合は、本当に、真剣にやらなけりゃいけない。

強敵と向き合うこと想像したときに、 これまでやってきた練習や、 重ねてきた試合の意味がようやく理解できた。

すがりつく男がいなくても、自分の足で立てる。 「全ては私しだい」 「私自身の考えかたしだい」

試合には敗れた。 負けて、悔しくて、泣いた。

それでも、本気で挑んだこと。 その本気を感じ取ってくれて、声援を送ってくれた人たち。

全力を出して、それでも敗れた自分をやさしく見守ってくれている人がいることに気づけた。

(蛇足:フィリピンの英雄 ピープルズチャンピオンのマニー・パッキャオが、 宿敵、ファン・マヌエル・マルケスに失神KO負けを喫した時。 パッキャオは負けた自分には価値はなく、誰も見向きもしてくれないと思ったといいます。 しかし、フィリピンのファンはそんな失意のパッキャオの帰国を大歓声で出迎えました。 パッキャオはその時、スーパースターの自分がファンを支えているとそれまでは思っていた。 しかし、支えられていたのは、実は自分のほうだったと気づいたといいいます。 管理人はこれが、格闘技の素晴らしさだと思います。)

武道を通じて人間を強くするという言葉の意味がようやく理解できるようになった。

「今、こうして昔の自分のことを笑いながら話せるようになれた というだけでも、だいぶ強くなれたのかな」

かつての寂しがりやは、あったかい空気につつまれて あったかい笑顔を見せてくれた。

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